3/1 卒業旅行


「え〜!沖縄!?」

「美術に興味があるならヨーロッパに行きなよ!」

内定式でおじさん達に囲まれ緊張しながら、卒業旅行は沖縄に行く予定だと話をした。社長と営業部長はノリノリで海外旅行を勧めてくれた。海外なんてうちに就職したら行けないよ、という言葉を聞いてああ〜安月給のブラック企業に就職したんだなあという実感が湧く。




それから数日後。

「ヨーロッパか〜いいかもね〜フンフフ〜ン」
「でも旅費が高いし誘っても断られるかな〜」

と軽い気持ちで親友の酢飯に話をしたら、

「え〜いいじゃん!行こうよ!」

と答えが返ってきた。ヨーロッパ、行っちゃお。




私も酢飯も、高校の時お世話になった美術史の先生が大好きだった。

「先生の授業に出てきた印象派現代アートモナリザも見たいね。」

なんて話をして行き先をロンドンとパリに決めた。




それからトントン拍子で話が進んで、気が付いたらイオンモールの旅行会社で18万支払っていた。



最低限の荷物をキャリーケースに詰める。
必要なものがあれば現地調達すればいいや。そういえばきちんとガイドブックを読んでいない。旅行のスケジュールもざっくりとしか決めていない。電車とかバスってどうやって乗るんだろ。そもそも何泊するんだっけ……。
あれ、もしかしてこれは現地でめちゃめちゃ困るやつでは…?と不安がよぎる。



アムステルダムで乗り換えをした。空港は広くて少し日本と違う匂いがしてドキドキした。オレンジと苺のスムージーを飲んで、お揃いのミッフィーのストラップを買った。搭乗口の場所が分からなくて石油王みたいなお兄さんに助けてもらった。別れ際ウインクをしてくれて恋に落ちた。飛行機は少し遅れて出発した。



ロンドンに着いてから大変だった。2人とも英語が読めない、話せない、聞き取れない、の三重苦。ノリと雰囲気でなんとかするしかなかった。



電車とバス、何度も乗り間違えながら美術館を巡った。反対側のバスに乗ってしまい、ロンドンのはずれまで来た時は心細くて泣きそうになった。マックでハンバーガーを食べたらすぐに元気が出た。単純な体で良かったなあと思う。



もにく家には海外旅行をする際のルールがある。
“少しでも気になったものは徹底的に買う”
私はこのルールを完璧に守り、大好きなチョコレートバーを行く先々で買い込んだ。爆買いする中国人の気持ちがよく分かる。酢飯は私の買いっぷりに少し引いていたけど、帰る頃には「もにくちゃん今日全然買ってなくない!?大丈夫!?」と言うようになった。




パリに着いた。
英語ですらまともに聞き取れない私達の目の前に、高い言葉の壁がそびえ立っていた。分かるフランス語は、ボンジュール、ボンソワ、メルシーだけ。
ドゥーユーアンダースタンド?と何度も聞かれた。さっぱり訳が分からないので苦笑いをすると、相手も苦笑いをした。パリにいる間ずっとロンドンに帰りたいと思っていた。酢飯も同じことを思っていた。ちょっと面白かった。



とにかく人に助けられた旅行だった。こちらから声をかけることもあれば、私達の「これはやばいぞ…どうしよう…」という雰囲気を感じ取って声をかけてくれる人もいた。 助けてもらったことを忘れないように旅行中にありがとうメモを書いた。5日目と6日目は自分たちでどうにか行動できたからメモは書かなかった。成長を感じた。




4日目の夜、帰りの電車がなぜか止まってしまい、(駅のホームで流れるアナウンスは聞き取れない)ホテルから離れた駅で身動きが取れない状況になった。
日本人の女の子を見つけて、声をかけるともう30分くらいに電車が来なくてずっとここにいるんだと言っていた。Wi-Fiがなくて困っていたから、助けた。その子を見送るために地上に出たら、運良くタクシーを拾えてホテルに向かった。車内で泣いた。ホテルに帰ってママに電話した。声を聞いて安心したら涙が止まらなかった。
酢飯はちょっとだけ泣いて、あとは静かにしていてずっと優しくしてくれた。酢飯に頭を撫でられるのが好きだ。一生忘れられない濃い1日になった。



色々なことが終わって、終わった分を取り戻すように新しいことが始まる。
社会に出てくじけそうになったらきっと、この旅行のことを思い出すんだろうな。




お土産でみっちりと重たいキャリーケースを引きずって2人で帰ろう。
入国審査と税関を抜けて、空港を出たら春が待ってる。